7月9日 アウシュビッツへ
今日も5時に起きる。
バスの時間もあって早く起きたのと、クレジットカード会社に連絡しなければならない用があった。
帰国の飛行機やらを一気に購入したおかげで、カードの限度額を越えそうになっていたのだ。危ない危ない。
寝起きのガラガラ声を振り絞って電話をかける。
案外審査はすぐ済んだので、あとは母からも同意の電話を入れてもらって手続きは終了。
首の皮が一枚つながった。
アウシュビッツの日本人ガイドの中谷さんから、メールでクラクフからの交通手段と発車時刻を教えていただいていた。
遅れるのは嫌なので6時20分発のバスに乗ることにしていた。
ちなみに鉄道でも行けるようだ。
バス停に着いたもののチケット売り場は閉まっている。
運転手からも直接買えるらしいので、停留所でしばらく待つ。
朝ごはんがてらパンを買う。
噛めば噛むほど小麦の味をしっかり感じることができる。
こういうシンプルなのも好き。
バスに無事乗り込むことができた。
1時間20分ほど走って、博物館に到着。
この時点で8時前。
集合時間は9時。…遅刻するよりいいはずだ。
同じバスで来ていた日本人の方がいたのでお話して時間をつぶす。
そして9時。
中谷さんからガイドを受けるのは全員で10人。
ノルウェーに留学中の学生が4人。
オランダに駐在している方が3人。
会社を辞めて旅している方が2人。
そして僕。
アウシュビッツは第一〜第三収容所まで存在していた。
現存しているのは第二収容所まで。
セキュリティチェックを受けて、まずは第一収容所へ。
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の門をくぐる。
当時ヨーロッパに点在していたユダヤ人たちは、ここで新しい暮らしをするという名目で連れてこられた。
ちなみに収容されたのはユダヤ人だけでなく、ドイツに対抗したポーランド人、ジプシーと呼ばれた移民のような人たち、ドイツ人の障害者や同性愛者も含まれていた。
収容されてきたユダヤ人たちは、まず労働力になるか否かのチェック(選別)を受ける。
ここですでに7割以上の人が労働力とみなされずにガス室に送り込まれた。
シャワー室にカモフラージュされたガス室で収容者に服を脱がせる指示をするのも、誘導するのもユダヤ人囚人。ドイツ軍人がガスを投入した後、遺体を運んで、焼いて、骨を砕いて処理するのもユダヤ人。
収容後もユダヤ人の中から監視員となる者を抜擢し彼らには他の収容者よりも良い待遇を与えていく。
こうして収容者コミュニティ内でランク付けしていくことで、ユダヤ人同士で監視し合う体制を構築し、反抗できなくしていったのだ。
ドイツ人はほとんど手を下さずに済むようになっている。
博物館内には生々しい展示が残っていた。
繊維として利用するために刈られた女性の髪。
持ち主を安心させるために、名前を書かせたトランク。
家財道具一式。
どれほどの恐怖に怯えていたのだろうか。
一通り説明をしていただいた後、シャトルバスに乗って第二収容所へ。
木造の簡素な小屋。
この1段に4人ほどが寝かせられていたそうだ。
冬など越せるわけもなく多くの人が凍死していく。
アウシュビッツで行われていたこと(収容の流れや暮らしなど)や、歴史的経緯の説明はもちろんのこと、現代社会の問題ともリンクして説明していただけたのが本当に良かった。
第一次世界大戦後多額の賠償金を負ったドイツを襲った世界恐慌。
当然国民にはストレスが溜まる。
そこにナチス・ドイツの持つゲルマン人至上主義と当時特定の国を持たずヨーロッパに点在していたユダヤ人に対する反ユダヤ人主義。
我々の方が優れているのに、なんであいつらが…あいつらのせいで…という世論が形成されていったことがホロコーストに繋がった(と勝手に解釈しております)
当然ナチス・ドイツも選挙で勝ち上がっているわけだけど、そんな圧倒的な支持があったわけではないそうだ。
少なくとも3割の議席を取って他の政党と連立内閣でも組めば、連立を組んだ中で一番多数派の政党の党首がトップに立つわけだ。
このカラクリでナチス・ドイツは権力を握った。民主主義国家の弱いところだと思う。
残りの7割はどうかというと、反対派と傍観派に分かれる。
反対派は当然弾圧されるわけで、多くの人が傍観派になってしまう。
そして権力に歯止めが効かなるのだ。
ここ最近もこんな動きが出てきているような気がする。
ヨーロッパへのシリア難民の問題。
アメリカ大統領選で共和党の指名を勝ち取ったトランプ人気やイギリスのEU離脱から見えるナショナリズム。
日本だとヘイトスピーチとか。
中谷さんが話と絡めて、LGBTをどう受け入れるかという話もされていて、うろ覚えだけどいい例えだなーと思った。
「トイレに自分とは違う人が入ってきて、えっと思うかどうか。」
体は女性だけど、心は男性だという人もいるわけだ。そういう人が男性トイレに入った時にどう思うか。逆もしかり。
日本というトイレに、他国民が入ってきたらどうかなのか。
グローバル化という単語を聞くようになってもうずいぶん経つけれど、これがなかなか難しいから、入ってきた少数者への差別が起こるわけだ。
根っこは多分一緒。受け入れられるかどうか。
いつもなるべく淡々とあったことだけを書くようにしているのだけど、今日は我ながらなかなか文章が下手。
自分でもまとまりきっていないので、このぐらいにしておきたい。
12時半頃に見学が終わった。またバスに乗ってクラクフへ。
お腹がすいたので、パンを買う。
昨日のポンチュキ。はまった。
このあともう一個買った。
これはオレンジピールがかかっていて、一層爽やか。
ぶらぶら歩いて帰る。
ポーランドの人はみんなジェラートを持っているので、つられて購入。
相変わらず買い食いしている。
夕食がてら一緒にアウシュビッツに博物館を見学した方がおすすめしていたレストランに行ってみたもののあいにく満席。
なんとなく見つけたレストランに入る。
ウエイターのお姉さんに「ポーランド料理が食べたいんだ。あとビール。」というと、「私もよく分からないのよね〜」みたいなことを言ったあとに、おすすめを教えてくれたのでそれを注文した。
ハッシュポテトにソースをかけたみたいなやつと、完全なチキンカツ。
とてもボリューミー。
久々に満腹を味わった。
いつも宿に帰ってさっさと寝ようと思うのだけど、
ブログを書いてて結局遅くなる。
明日は朝早く起きる必要が無いのでのんびり寝よう。
明日の夜行バスでワルシャワに戻った後、空港に直行。
明後日にはポルトガルへ。