23日目 : 気仙沼市街へ
朝起きてお米を炊こうとしてると、ユースホステルの方が「いいからいいから。昨日の分も残ってるし。」と言ってくださり、朝食を提供していただけることになりました。
ありがとうございます。
朝食の後ダラダラ準備をして、出発は9時前。
今日は唐桑半島の内湾と呼ばれる部分を抜けて峠に入り、海沿いを歩いて市街地へ…という感じのルートです。
宿の方に教えてもらった道を歩いて、ユースホステルから漁港に出ます。
昨日僕を拾ってくれた方(Mさんとします)曰く、唐桑半島が防波堤のような役割をしているため、内湾は波がとても穏やかだそうです。
カヤックなんかをするのにも最適な環境とのこと。
昨日ユースホステルで牡蠣をいただいたのですが、波の荒い半島の外側(外洋)と内湾の環境を上手く利用しながら育てる牡蠣は、身の詰まった「もまれ牡蠣」としても有名です。
昨日食べたのもそれはもう美味でした。
何度か気仙沼に来ていますが、「海と生きる」というフレーズを見聞きしたことがあります。
三陸沿岸は漁業が盛んなわけですが、まさにそのフレーズがぴったりな風景が広がっていました。
久々にドローンを使ってみましたが、結構な数の筏です。
あとでMさんに聞いてみましたが、かなり元に戻ってきたとのこと。
あの震災のあと、「海と生きる」というフレーズを掲げた覚悟のようなものに想いを馳せたりしました。
唐桑半島を出た後は峠道です。
峠道といっても、こないだの石塚峠や鍬台峠のような未舗装・登り坂・道に迷うといった感じではなく、きちんと整備されてるので歩きやすいです。
ただ最近感覚が狂ってきてるようで、舗装路だと物足りなさを感じたりしてます。未舗装のハードな峠道はもちろん歩いてる時はしんどいんですが、振り返ってみると「楽しかったなぁ」と思うのです。
近くにトイレがあったらどこでも寝れるんじゃないかとも思うようになりましたし、3週間でずいぶんたくましくなりましたよ。
峠道を歩いて岬の突端で昼食を取ることにしました。
食料を買っておくのを忘れてたので、バックパックを風防にして米を炊きます。
人がいないので何も気にすることはありません。
お米炊いて食べて片付けてドローン飛ばしてで、1時間ぐらいここにいました。
目の前には東北最大の有人離島である大島が見えます。
ここには明日行く予定。
来年から橋が使えるようになるそうで、一気にアクセスが便利になります。
今はフェリーに乗って大島に渡るのですが、橋がかかることによってこれが無くなってしまうので、トレイルのルートも変わるかも…とのことです。
この後は、218号線を通って市街地方面へ。
ダンプカーも結構通ります。
小屋や、建設会社の仮設社屋?が建ってたりするので人気がないわけではありません。
道を歩いてると、気配を感じて視線を右に向けてみました。
カモシカがこっち見てました。
北山崎以来の遭遇。
シカはそれこそ脱兎のごとく逃げて行くのですが、カモシカは逃げません。
カメラ目線なのでいい被写体です。
造船所があったりします。
ウォーターセブンみたいですね。ワンピースに出てくる地名です。
奥の船に木が立ってるのが見えるかと思いますが、これは何に使うんでしょうか。あとで調べてみます。
5〜6km歩いて市街地へ。
3年ぶりに来たわけですが、当たり前ですが当時はなかった建物が建ってたりして、ずいぶんと知ってる景色とは変わってるような気がしました。
問題はどこに泊まるかです。
やっぱり街中になるとテントを張れる場所はありません。
一軒ネットカフェを見つけたので、今晩はそこに泊まろうと思ってます。
横になれてシャワーも使えるので、旅してる身分としては十分です。
ネカフェに向かっていると、軽く宗教の勧誘に遭いました。
住んでるとこでも何回か宗教の遭ったことがあるのですが、あれですかね、そんな病んでるように見えるのでしょうか。
とりあえずネカフェに到着。
荷物を置かせてもらって、今晩の予約をしておきました。
数時間暇です。
Mさんの塾(塾をされてます。ワンオペとのこと)に来てもいいと言っていただいたので、お邪魔させていただきました。
結構長く震災の復興関連の話をお聞きしてましたが、今更ながら勉強の邪魔だった気がしています。
みなさんお邪魔しました。
夕食は牛丼。
ネカフェに帰って寝落ちるも、隣のブースから爆音のいびきが聞こえてきて目が覚めまして、ブログを書いてました。
本日の歩行距離 : 約17km
22日目 : 岩手県ルート終了
朝起きるとお父さんはもう仕事に行ってました。
お母さんに曰く、「昨日楽しかったみたい。また来てねって言ってたよ。」とのこと。
本当に人との出会いに恵まれた旅になってるなぁとひしひしと感じます。
トレイルを終えたらお世話になったとこを巡るのも良いなぁ(もちろん電車とかで)と思っているのですが、行きたいところがいっぱい。ありがたい限りです。
朝ごはんをいただいて、お母さんとおじいちゃん、おばあちゃんに見送られて出発です。
ほとんど舗装路を歩くことになるはず。
気仙沼の唐桑半島を一周するのですが、ちょうど南端にキャンプ場があります。
そこまで歩くと30km弱。さぁ歩けるのかというところ。
昨日お母さんが言ってました。
「被災地にこんなものが建ちました。って紹介されるけど、そこから少しカメラをずらしたら空き地が広がってるんだよね。都会だと東京オリンピックとかで盛り上がってるけど、置いていかれてるような感じがする。」と。
ブログではさらさらーっと1日の流れを書くだけになっちゃってますが、陸前高田市に限らず街の中を歩くとその辺りで復興工事が行われています。
ただここ(陸前高田市)は規模が違うと感じました。
トレイルコースを歩いていても、工事車両の多いこと多いこと。
気がつくとカメラのモニターに砂が付いていたので、ダンプカーの巻き上げる砂埃がかなり舞っているのでしょう。肺にも悪そうです。
そんな感じでしばらくずーっと国道沿いを歩きます。
少し道から逸れて、有名な「奇跡の一本松」にたどり着きました。
少しの間黙祷を捧げてから、写真を数枚。
震災前のような松並木を取り戻すための活動も行われているそうです。
街も松並木も、後何年で姿を取り戻すのでしょうか。
一本松を離れて、またトレイルコースを歩きます。
ひたすら国道やら県道です。
この先気仙沼に入ってもしばらくずーっと。
舗装路を長く歩くのもかなり足に負担が来ますね。
気仙沼に入ってから、荷物を降ろしても問題なさそうな空き地を見つけたので、お昼休憩を取ることにしました。
靴下を脱いでみると、こんなとこにマメなんかできんのかいってとこにマメができてました。
どっか治るとどっか痛めます。まぁ重い荷物を背負って歩いているわけですから仕方ないですね。
お昼ご飯はお母さんが持たせてくれたおにぎりです。
別れ際にお礼を言うと、「こんなことしかできないけど、応援してっから!」と言ってくれたのを思い出して、頑張らねばという気持ちになってきました。
またずっと舗装路。
15時前ぐらいになって、もう少し歩いたら遊歩道、そして今日のゴール地点のキャンプ場というところまで来ました。
だいたいあと6~7kmだったと記憶しています。
15時って微妙な時間ですよね。日が暮れても遊歩道出れなかったらたまったもんじゃないです。
いつぞやの普代浜前、暗くなっても山を抜けられなかった時は、恥ずかしながら軽くパニックになって、トレイルの整備を進めている「みちのくトレイルクラブ」の方に電話をしてました。
まぁそんなこともあってどうするかなー、とりあえず結構歩いたしコンビニで一休みしようかなーと思って、コンビニの駐車場を歩いていると、僕の隣に車が止まって、中から知ってる人がジュースを持って現れました。
実は学生時代気仙沼は何度か来たことがあって、今日気仙沼入りした直後、Facebookに投稿してたんです。
それを見て来てくれたようです。
ありがたいです。
何かムービーを撮られながら、今日どこまで行くのかといった取材を受けました。
何に使うんだろうとか思ってましたが、その方のFacebookに載ってました。
ムービーと「気仙沼区間にいるので、皆さんよろしくお願いします!」的な感じの投稿です。
いろんな方にお世話になってますほんと。
休憩する場所を探してることを伝えると、近くの古民家を改装した喫茶店に案内してくれました。
その方はまたお仕事へ。僕は喫茶店へ。
「あずきばっとう」なるものを注文しました。
おしるこにもちもちした麺が入った郷土スイーツのようなものです。
おしるこに麺という組み合わせに抵抗がある方もいらっしゃるでしょうが、僕はあまりそういうの気にしません。
なかなか美味しかったです。
お店のお父さんが今の工事の状況のお話をしてくれました。
歩いて前に進むことよりこういうお話を聞くことの方が大切です。
市内でも進み具合に差があること。なんなら工事担当してた建設会社が破産して防潮堤の工事がストップしてること等々。
国からお金が出てるでしょうに、なんでそんなことになるのか不思議でしょうがないですが、まぁそうらしいです。
震災からずいぶん経ちましたが、本当に道半ばです。
そして時間は16時ごろ。
とりあえずキャンプ場まで行かなくては寝る場所がありません。
お店のお父さんに遊歩道に出ずに、このまま国道を下って行くかどうするかの相談をさせてもらうと、一旦お父さんに遊歩道入り口の駐車場まで送ってもらい、遊歩道沿いの見どころを一通り見たら、遊歩道から出た先の次の駐車場でまた僕を拾ってキャンプ場まで送り届けようかと言ってくれました。
日が沈む中歩くことを考えると、甘えさせていただいた方が良い気がしたので、お願いすることにしました。
店内でお父さんと写真を撮って、出発です。
写真はお店のFacebookに上がってます。
さっきのムービーもですが、髪の毛ぐらい整えたらよかったと心底思いました。
折石・大釜・半造というジオポイント、まぁ岩ですが、歩いて遊歩道を歩いて数分の距離に集まっています。
一旦下ろしていただいて、遊歩道を歩きます。
これが折石。一番分かりやすかったので写真を撮りました。
昭和の地震の時に先端部分約2mが折れたから折石らしいです。
半蔵だけ少し離れたところにあります。
また少し歩いて半造を探します。
今宮城県では、観光版トレイルの「オルレ」なるものを推しているらしく、そのリボンが結構くくりつけられてました。
我らがみちのく潮風トレイルのリボンは見てません。
さて、肝心の半蔵ですが、どの岩がそれなのかさっぱり分かりません。
一応それっぽいものを見かけたのですが、特に看板があるわけでもなく…
あとでお父さんにそのことを聞いてみましたが、半造はあまり特徴があるわけではないとのことでした。
見つけられなくても仕方ありません。
また乗せていただいて、唐桑半島の南端へ。
ここにはビジターセンターがあります。
閉館時間を過ぎていましたが、お父さんが館長と知り合いらしく、中に入れていただきました。
トレイルの紹介コーナーもありましたが、ここも圧倒的にオルレ推し。
10月から始まって200人近く来てるそうです。暖かくなったらもっと増えるんじゃないでしょうか。
しばらく見学してキャンプ場へ。
テントを張ってブログを書いているとFacebookに動画を載せてくださった方が、風呂連れてってやるとメッセージを下さりました。
20時過ぎにお迎えが。
近くのユースホステルに用事があるそうで、どうやらそこのお風呂をお借りできるそうです。
お風呂をお借りした後お話ししてると、布団は出せないけど寝袋があるなら、畳の部屋で寝ても良いとのことです。
断る理由はないので、キャンプ場からは撤収しました。
やっぱり室内は暖かいです。おやすみなさい。
本日の歩行距離 : 約20km
21日目 : 陸前高田へ
昨日ご飯に連れて行ってもらったお二人から、この辺りで見る朝日が綺麗だと聞いていたので、日の出の時間に起床。
展望台に行ってみるも、あいにくの曇りで綺麗に見えなかったのが残念でした。
テントに入って二度寝をします。
近くの博物館の開館時間は9時なので、今日は一応時間に余裕があるのです。
寝ていると、防災無線から「これから津波の訓練がある」旨の放送が流れました。
緊急速報やらで、携帯鳴りまくり、そんな中二度寝という状況に。
6時半ごろに起きて、いつも通り朝食を作って撤収します。
インフォメーションセンターは8時半に開くので、博物館に行く前に立ち寄って、昨日のお礼を。
ついでにまた荷物を置かせてもらいました。
しばらくお話しして、9時になったので博物館へ向かいます。
展示内容は、主にこの辺りの地層や岩石、化石。東日本大地震時の写真展も行われていました。
館長さんとは一応お知り合いなので、先日のお礼と今日入る陸前高田で泊まれそうな場所を相談。
お寺とかどっかの軒下を借りるしかないという話になり、やっぱり泊まるとこが不安です。
1時間ほど博物館に滞在したのち、インフォメーションセンターに戻って、荷物を受け取り出発です。
今日は広田半島という半島をぐるっと回るルートなので、果たしてどこまで歩けるか…
出発も10時といつもより遅いですからね。
とりあえずまずは半島の南東にある、黒崎仙峡温泉に向かうことにします。
しばらくずっと舗装路歩きが続くので、退屈です。
陸前高田市に入りました。
途中駅を見つけたので、今晩の野宿候補地として下見をしました。
トイレあり水道ありだったので、ここに戻ることにしようかと思います。
休憩も挟みながら、2時間以上歩いたでしょうか。遊歩道の入口を発見。
遊歩道も休憩を挟みながら2時間弱ぐらい歩いて、目的地の温泉に到着。
この時14時ごろ。普通に半島を回ってたら暗くなってしまうので、舗装路を使ってショートカットして駅に戻ることに決めました。
入浴料は4時間まで500円。
そんないないので、2時間300円とかにして欲しいなぁとか思いましたが、温泉に入ります。
ストレッチしたり軽くマッサージしたりして、なるべく足の疲れを取るように心がけてます。
やっぱりお風呂に入ると入らないでは、疲れの残り具合が違うことをこないだから実感してます。
お風呂から上がって、フロントに預けていた荷物を受け取るついでに、ここでも泊まれるとこを聞いてみました。
やっぱりなさげ。
なんなら目星を付けてた駅より、もっと先の街中の方が電気もあって良いんじゃないかとのこと。
あと1時半ちょっとで日が暮れるので、そんな歩けません。
相談してると、フロントの奥からおじさんが出てきました。
これから帰るそうです。
神社か寺にテントを張れるか交渉したら良いし、とりあえず街中の方のお寺まで送ってくださるとのこと。
変なとこで泊まって泊まるよりも良いでしょうし。なにより出会いもまたトレイルです。
乗せていただくことにしました。
車内でお話ししていると、さっきの温泉の社長さんみたいです。お偉い方でした。
寺に向かう途中、箱根山に入る分かれ道が。
一応テラスとかもあるし行ってみるか?と聞かれたので、お願いします。
トレイルマップにも宿泊施設やら休憩できる場所があると書いてあったのです。
山に向かう道を走ってると、側溝にタイヤがはまった車を発見です。
何人かで車を押すという人生初の経験をしました。
箱根山の伝承館という施設に到着。
おじさんに連れられて中に入ります。
できればここにテントを張りたいことを伝えると、中にいたおばさんが、だったらうちの庭にでも。と言ってくださいまして、泊まるところができました。
おじさんは去っていきます。
ありがとうございました。
この施設は気仙大工左官の技術を伝えるために建てられた立派な建物が建っています。
ちょうどツアー客が来るとのことで、一緒に案内を聞くことになりました。
僕を庭に泊めてくださる方はここの館長の方みたいです。
津波の話から建物の話まで聴き入ってしまいました。
ツアー客も帰り、施設も閉まる時間になったので、車でお家まで連れて行っていただきます。
庭でテントのはずが、お家で一泊させていただくことに…
お父さんはこの次の気仙沼で仕事をしているそうで、朝載せて行ってあげようかとも言っていただきましたが、それはさすがにお断りしました。
民泊をしたりしてるので、布団はいっぱいあるとのことでした。
夕ご飯もいただいて、トレイルの話をしたり震災の話を聞いたりして、夜は更けていきます。
本日の歩行距離 : 約12km
20日目 : 碁石海岸へ
今日は5時過ぎに起床。
昨日のお昼に駅で振る舞われた炊き込みご飯やら豚汁やらをいただいていたので、それを朝食にいただきます。
8時には盛駅を出発したいので、7時15分あたりの電車に乗ります。
今回のトレイルで三鉄に乗るのはこれで最後でしょう。
お世話になった場所を離れるのもあって、なかなか寂しい気もします。
前回のトレイルで最終日に三鉄に乗ったわけですが、電車から降りると反対ホームで観光ガイドさんが案内をしてました。
僕らの乗ってた車両のことを、「東日本大地震で唯一残った奇跡の車両」だと言うわけです。
車両番号を調べてみると、津波発生時トンネルの中で急停車して事なきを得た車両と一致。
これは本当に鳥肌が立ったのを覚えています。
まぁそんなこともあったという話なのでした。
列車は盛駅に到着です。
しばらくずーっと街中の道路沿いを下っていきます。
8時に盛駅をスタートして、休憩を挟みながら碁石海岸の遊歩道の入り口に着いたのは11時半ごろ。
まずは穴通磯を見に行きます。
熊の鼻に似てると思っちゃいましたが、それはさておき、遊歩道が続いていません。
戻ってみると別の道が。こっちが正しいルートな上に、わざわざ見に行かなくてもちゃんと遊歩道上から穴通磯が見えるようになっていました。
碁石海岸インフォメーションセンターまで、それなりにアップダウンのあるコースではありましたが、まぁそんなふらふらになるようなこともなく、13時過ぎに到着しました。
足が強くなったのでしょうか。
途中僕が参考にしている「からあげ隊長」さんのブログで、野宿適地だと書いてあった赤土倉を通過しましたが、ただの漁港って感じで、僕はあまり良いと思いませんでした。
個人的な感想です。
レンジャーの方に加え、今朝三陸駅の方から僕が割と早い時間の電車に乗った旨の連絡があったそうで、インフォメーションセンターでは職員の方が歓迎してくれました。
お昼ご飯も連れてってもらいました。海鮮丼美味しかったです。
インフォメーションセンターに荷物を置かせていただいて、碁石浜を見に行きます。
10分ほど遊歩道を歩いて到着。
波で磨かれた玉砂利が敷き詰められているから碁石浜。
波が引いていく時の石の音が心地よい場所でした。絶対あそこで寝たら気持ち良いです。
特にすることもないので、インフォメーションセンターの端っこでこれまでのブログを書いておきます。
そして17時ごろ。そろそろ閉まる時間になってきたので、荷物を受け取りに行きます。
すると、お昼ご飯に連れて行ってくれた方が、今度は晩御飯にも誘ってくださったので、ありがたく付いていきます。
同僚の方と3人です。
オススメのお店はどちらも閉まってたり予約満席だったので、結局居酒屋へ。
よく飲まれる方で、大変楽しい時間を過ごすことができました。
ちゃんと真面目にトレイルの話をしてたのでご安心を。
テントを張っている碁石海岸キャンプ場まで送っていただき、今日は終了。
シーズンオフなので、張るのは自己責任です。
昨日飲みに連れて行ってくれた駅のお母さんの旦那さん(酔ってフラフラだった人)が、ここのすぐそばの博物館の館長をしているそうなので、明日は出発前にそこに寄る予定をしています。
本日の歩行距離 : 約17km
19日目 : 一生分の柿を触った日
今日は駅の干し柿作りを手伝いに行きます。
朝7時ごろ起きて、8時半ごろに駅に。
もうすでに作業が始まりつつあるようでした。
マスコミの方もいます。
駅のお母さんというか、正確に言うと、駅とかそれにくっ付いてる売店の運営を委託されてる観光協会のおばさん(お母さん)とは、もう顔見知りなので、雨だし今日は歩かずに手伝いに来たことを伝えます。
下では、地域のおばあさんやおばさんが柿の皮むき。上野駅のホームでは男性陣が柿を吊るしていくそうです。
僕は上に行きます。
すでに三鉄の職員さんと大船渡市役所の方がいらっしゃいました。
しかもこの三鉄の職員さん、先日の大槌町のお祭りで僕にクレープを買ってくださった方でした。
ご縁を感じます。
駅員さんだと思っていたら、まさかの部長職の方のようです。
お偉い方でした。
箒で蜘蛛の巣を払って、柿を吊るす準備をします。
ちなみに昔はタコ糸とかで柿を吊るしてたそうですが、今は柿クリップ?とかいう物が売ってるそうです。
プラスチック製の紐?に、等間隔で柿のヘタを引っ掛ける穴が開いています。
ホームセンターにあるそうなので、そういうところを覗いてみるのも、その土地の文化が反映されていて面白そうです。
作業してると、マスコミ関係の方もぞろぞろとホームに集まってきました。
テレビと新聞だったと思います。
地元の幼稚園だか保育園の子たちが見に来るそうです。
なんかそれがやたらマスコミ受けが良かったらしいですね。
子どもたちが来てる時にいるのは邪魔かなぁと思って下に降りると、今度は皮剥きの女性陣の中に入ることになりました。
これがまた柿がぬるぬるしてやりにくいのなんのです。
地元のお母さんたちはやっぱり手際よく綺麗に剥いていきます。
料理は割とする方だと思うんですが、やっぱり年の功には敵いません。
こっちでしばらく作業してると、子どもたちが去っていきました。
目当てのものが撮れたマスコミの方々も続々と下に降りてきます。
地元紙の方に取材をしていただきましたが、新聞に載るのでしょうか。分かりません。
下で皮を剥いてると、今度は上が間に合ってないということになり、柿吊るし班に戻りました。
やっぱりこっちの方がやりやすいです。
ひたすら柿クリップに柿を留め続けます。
お昼休憩に呼ばれました。
NHK盛岡のお昼のニュースで早速放送されるそうで、みんなでテレビを見つめます。
最初の一瞬だけチラッと映り込んでました。
テレビデビューです。
お昼ご飯は、駅のお母さんが作った、炊き込みご飯・豚汁・ポテトサラダ・きんぴらごぼう・秋刀魚の佃煮?です。
やっぱり人と囲んで食べる食事の方が美味しいです。
昼休憩の後もひたすら柿吊るし。
14時過ぎとかに全部終わったような気がします。
合計3990個の柿で作った柿のれん。
冬の訪れを感じさせる三陸駅の風物詩だそうです。
片付けをしてみんな帰っていきます。
僕は泊まっている小屋が歩いてすぐなのと、帰ってもどうせやることがないので、駅のお母さんと話したりしてました。
多分まとめ役のような方が、一仕事終えたということで「おばちゃんが送別会してやっから。」と飲みに誘ってくれました。
18時に駅の売店やら切符売り場が閉まり、車でお店に連れて行っていただきます。
お店は昨日・一昨日と通ってたところです。
テレビを見ると、夕方のニュースにも写ってました。
柿と同じ色のウインドブレーカーを着てるのが僕です。
脚立に乗ってるのは三鉄の部長さんです。
なんか色々話しました。
内容は世間話的な感じだったので覚えてません。
飲みに連れて来てくれたお母さんの旦那さん(飲み会終わり)も来て、なかなか酔ってたのが面白かったです。
居心地の良い場所を離れるのは寂しいわけですが、明日は歩きます。
碁石海岸まで行けたら良いなぁって感じです。
18日目 : 荷物の軽いと足も楽
朝7時の電車に乗るべく、今日はちゃんと5時過ぎに起床。
いつも通り朝食を食べて、駅のホームで電車を待っていると、昨日のレンジャーの方が見送りに来てくれました。
三鉄に乗って綾里駅まで。
おおよそ7時半スタートです。
街から外れるにつれて、少しずつ道が険しくなっていきますが、綾里崎展望台までは昨日の羅生峠と同じような、車が通れそうな道なので歩きやすいです。
9時過ぎに展望台到着。
今日の荷物はこんな感じです。
ウェストポーチの中には、レインウェア・昼食・携行食・熊よけスプレーが入ってます。
荷物が軽いと心も足も軽くなりますね。
バックパックの荷物も減らすべきでしょうか…
展望台でお菓子を食べて一休みです。
10~20分してから再出発。今度は峠を越えます。
当然上り下りはあるわけですが、これまでの峠に比べるとそれほどしんどくはなかったです。割と歩きやすい。
まぁ荷物のおかげだと思います。
峠の最後の方、木が伐採されていて、まるで異世界のようでした。
1時間半ぐらいでこの峠も脱出です。
その後しばらく綾里の街の中を歩いて、次の峠へ。
干し柿作りをしている民家もちらほら。
不動滝というところから入っていきます。
なかなか厳かな雰囲気。
紅葉を楽しみながら歩いていきます。
この峠も先ほどと同じく、そこまでハードではなかったです。
下りでこけましたがね。
峠を超えると陸前赤崎駅に着くのですが、ルート通りに歩くと、復興工事にぶち当たるので、たどり着けそうにありません。
仕方ないですが、こういうのが結構多いです。
足も結構楽なので、陸前赤崎駅をすっ飛ばして先に進むことにします。
一駅先の盛駅を目指します。
ただもうお昼過ぎなのでお腹がすいてきました。
道沿いにあったラーメン屋さんに入って昼食を取ります。
また写真は忘れました。
なんかラーメンばっか食べてますね。
そしてまたしばらく歩いて、盛駅に到着。
15時過ぎだったと思います。
全く知らずにBRTのバス専用路を歩いていて、怒られました。すみません。
三鉄に乗って、三陸駅へ。
近くのコンビニで食料調達をして、昨日レンジャーの方とお会いした飲食店に向かいます。
地元の方のお話を聞いたりしてると、レンジャーの方が来られました。
小学校5年生のお子さんとお風呂に連れてってもらいます。
小学校と何話したらいいんでしょうか。一応色々話しかけたつもりです。
お風呂から帰って、またさっきの飲食店でルートの話をして今日はおしまい。
明日は雨らしいので、また干し柿作りを手伝うかもしれません…
本日の歩行距離 : 22km
17日目 : 偶然が偶然を。
お昼過ぎには三陸駅に戻ってきたいので、6時台の始発に乗るつもりだったんです。
が、一度4時過ぎに起きたあと、もう少し寝れる…と二度寝をかまし、結局6時の音楽とともに起床しました。
諦めて7時台の電車に乗ります。
吉浜駅に戻ったのは7時50分頃なので、結局いつもの8時出発とさほど変わらない時間になりました。
さて、昨日からの峠三連発。
トリを飾るのは「羅生峠」です。
仰々しい名前で登る前から気分が萎えていましたが、なんてことはなかったですね。
なんか普通に車通ってそうな跡もありました。
三陸駅を通り過ぎたのは、9時50分ごろです。
休憩時間だったり、峠を越えてからが長かったりするので、まぁこんなもんでしょう。
だいたい1時間ほど歩いて、次の甫嶺駅に到着です。
コーラを買って休憩しました。
前海外に行った時もそうでしたが、なんか旅に出ると普段飲まない炭酸飲料、特にコーラを欲するようになるのです。なぜでしょう。
あ、ビールはいつもよく飲みます。
次の恋し浜駅もだいたい1時間後の到着。
4年前の「あるいて、つないで、みちになる。」のゴール地点です。
なかなか感慨深いものがありました。
北上チームと合流した時、「やばい」しか言ってなかった記憶があります。語彙力に難ありです。気を付けます。
この駅はホタテの絵馬があるのです。
4年前みんなで書いたやつを見つけてやろうと意気込んでいたのですが、見ての通り、すっかり片付けられていました。
そりゃあ何年もみんなの分を置いとくわけにはいきません。
ちょっとがっかりしましたが、次の駅に向かいます。
ここもおおよそ1時間で到着。
綾里駅です。
この先は半島に出るコースになっているので、まだ13時前ではありますが、今日進むのは辞めておきます。
この時点で約15km歩いてるのだから、やればできるもんです。
昨日の駅のお母さんから、「駅で干し柿作りをするから、来たら昼ごはんにありつけるかもよ?」のようなことを言われていたので、三鉄に乗って、三陸駅に戻ります。
切符を買って駅舎で待っていると、駅のお母さんに名前を呼ばれました。
なんでもレンジャーの方が、今日あたり僕が来ることを伝えてくれていたようです。
心強いですね。
電車が来ました。
5時間歩いてきた道を、電車は20分もかからずに戻ってしまうのです。
文明の利器ってすごいですよ。
さて、帰ってきました三陸駅。
駅のお母さんたちの賄いの残りをいただきます。
その後ひたすら柿のヘタむしり。
14時過ぎから16時過ぎまでやってました。
9日に地元のおばあちゃんたちが来て、皮を剥いて干し柿にするそうです。
「これをやると冬が来るのよ。」とのこと。
寒さはもうちょっと来ないでほしいところです。
17時には終了と言われていたので、一応手をつけたカゴだけ全て片付けて、僕のヘタ取りも終了です。
昨日のプレハブ小屋に荷物を置きに行こうとすると、人がいるようだったので駅に戻ってきました。
駅のお母さんにそのことを告げて、もう少し駅にいさせてもらいます。
しばらくするとおばさんが1人やってきました。
どうやら小屋にいる人を迎えに来たようで、「大丈夫だから、一緒に来なさいよ。」と連れられます。
小屋の中には小屋の持ち主の方とあと数人。
話を聞いていると、僕を連れてきたおばさんがご飯屋さんをしていて、そこにレンジャーの方も来るそうです。
それは行くしかないということで、その方が来ると聞いていた時間にお店にお邪魔しました。
綾里駅のお母さんに僕が来ることを伝えてくれていた方だったようです。
昨日吉浜駅からこっちに来て、今日三陸駅に帰ってきていなければ出会えてませんでした。
偶然が偶然を。ご縁がご縁を呼んでいるかのようです。
大船渡のレンジャーの方だそうで、明日以降のルートの相談をしました。
元々明日半島に出た後、頑張って市街地まで行くつもりだったのですが、結構遠いらしいのです。
半島に行って帰ってきて、またプレハブ小屋に泊まるのが良いのではないかということになりました。
というわけで、明日もここを拠点に三鉄を使って往復します。
この先のルートとかのお話も聞けて、良かったです。
明日以降はいよいよ未知の道。
楽しんでいきたいと思います。
本日の歩行距離 : 約15km