僕の旅のこと

2016年5月〜8月の海外バックパッカー、そして2018年10月〜から挑む、みちのく潮風トレイル踏破のこと

24日目 : 記録をたどって

爆音いびきに叩き起こされたのが、午前4時過ぎ。1時間ほどかけて昨日の分のブログを書き上げました。

昨日寝落ちてシャワーも歯磨きもまだだったので、フロントに行ってシャワーを使わせてもらいます。

シャワールームの隣に洗濯乾燥機を発見しました。

洗濯と乾燥をしようかとも思いましたが、1時間以上かかるようだったので、洗面台で手洗いをして、乾燥だけかけることにします。

1回30分の乾燥時間の間にシャワーを浴びておきます。


久慈で実家に送り返して一着だけになったズボンと、行動中着てるウィンドブレーカーも乾燥機にかけてしまったので、上は機能性インナーにフリース、下は機能性タイツという出で立ちです。

ブザーが鳴ったので、意気揚々と乾燥機のドアを開けると、暖かくなっただけの濡れた衣服がそこにありました。

これは乾きそうにありません…


今日は朝一のフェリーで大島に渡りたいのです。

6時40分発なので、6時までにはネカフェを出たい。

タイツの上に濡れたズボンを履いて、そのままネカフェを後にしました。

 

Googleマップによると、フェリー乗り場に行く道中に6時開店のコインランドリーがあるようです。

持ってる衣服は、靴下以外速乾性の素材でできていて、10分程度で乾くことは宮古で実証済みです。


少し歩くと、マップには載ってないランドリーを発見しました。

しかも6時前なのに開いてる。

すぐさま乾燥機に洗濯物を放り込みます。

もちろんズボンもです。

人が来ないことを祈りながら、タイツ姿で10分過ごしました。


そして10分後。

インナー類とズボンは履けるレベルまで乾いてました。

人がいないのを良いことに、タイツを脱いでズボンに履き替えます。

靴下だけは微妙に乾いてませんが、これはトレッキング用の厚手の靴下なので仕方ないです。

また夜洗って乾かすなりしたいと思います。


あとはフェリー乗り場まで一直線です。

片道410円のチケットを買って、船が出る5分前に飛び乗ることに成功です。

f:id:mr_kh:20181117215308j:image

 

モヤがかっていて、なかなか幻想的な光景でした。

f:id:mr_kh:20181117215239j:image

 

昔は風景とかの写真を撮るときに人が写り込むのが嫌な人だったんですが、最近はそっちの方がストーリー性が出るよなーと思うようになりました。


朝早く起きたのもあって、フェリーの中では爆睡でした。

到着のアナウンスで目が覚めて、船から降ります。

フェリーのチケット売り場の窓口で、荷物を預かっていただけないか尋ねてみました。

預かり金が100円かかるそうですが、大丈夫みたいです。

携行食とカメラ類だけ持って、あとは置いて行くことにしました。装備は軽いのに越したことはないのです。

 

こないだの越喜来でもそうでしたが、拠点を構えてることができるのであれば、不必要なものは拠点に置いて、1日歩いては電車とかを利用して戻る。

翌日、前日のゴール地点に電車を使って…というような歩き方をするのも良い気がします。


大島のコースは、一部区間遊歩道だったりしますが、ほとんど県道208号線を歩くようになっています。僕は反時計回りに歩いて行くことにしました。


東北最大の有人離島ということもあってか、個人的あまり島にいるという感じはしませんでした。のどかな田舎を歩いているようです。

 

1時間ほど歩いて南端の龍舞崎に着きました。

自販機とベンチがあったので、コーヒーを買って一休みです。

1時間に一度休憩を挟むのが、僕の歩くリズム。

分かってます。ここでちんたら休憩してるから歩行時間が短くなるのです。


ルートにはなっていませんが、350mほどで展望台に出れるようです。せっかくなので少し足を伸ばしてみます。

展望台といっても、松林に囲まれていて、あたり見晴らしは良くありませんでした。

こんな時こそドローンでしょう。

灯台が今いるあたりです。

f:id:mr_kh:20181117215514j:image

 

100mぐらいまで上げてみましたが、気仙沼から伸びる半島のように見えるだけで、島全体を捉えることはできませんでした。

大島の大きさを実感。


龍舞崎で結構時間を使ってしまいました。

流石に歩こうと思います。

また舗装路を歩いてたのですが、海側に遊歩道を発見。地図を確認すると、龍舞崎からしばらく舗装路ではなく遊歩道を使うルートになってました。

藪を掻き分け遊歩道入りします。

f:id:mr_kh:20181117215556j:image


歩きやすいなぁと思ってると、急に棘の生えたバラ科の植物が現れたりします。

そんな甘いわけないんです。

海岸線をずっと行けると思ってた矢先、目の前が袋小路になってました。

f:id:mr_kh:20181117215624j:image

 

先が分からないのに、藪の中に入っていくほど若くも無謀でもないですから、道がないならどうしようもありません。

迷うことなく引き返して、県道を歩くことにしました。


大島の北にある亀山の遊歩道に入るまで、しばらくずーっと県道です。

もうすぐ遊歩道だなーと思ってた矢先の出来事でした。

 

メガネの形の日焼けがひどくなってきてたので、メガネをウエストポーチの持ち手に引っ掛けて外して歩いてたんです。

ふと「腹減ったなー」と思って、ポーチからナッツを取り出して少しの間貪ってました。

その間も当然歩いてます。

メガネを持ち手に引っ掛けたままにしておいたら良かったのに、なぜかナッツをしまうために半開きにしておいたポーチの中に入れたんです。

これが運の尽きでしたね。

ナッツをしまおうとポーチを開けるとメガネが消えてました。

落ちた音がしなかったのは、下が落ち葉だったからでしょう。

すぐにナッツを食べ出したあたりに戻って2~3往復してみましたが、メガネは行方不明。


車の運転はできないレベルですが、視力の弱い友達に言わせると「度が入ってないみたい」なメガネをかけてたので、決して見えてないわけではありません。

なんなら高校の時も今と同じ視力でしたが、裸眼で過ごしてました。

てことで、メガネを諦め、前に進みます。


亀山山頂の展望台へ。

こっちが唐桑半島。

f:id:mr_kh:20181117215754j:image

 

こっちが大島。

f:id:mr_kh:20181117215812j:image

 

大島も半島のように見えます。

地図を見て頭では理解してるのですが、改めて半島と島で囲むように気仙沼湾ができていることを実感しました。


角度を変えると、唐桑半島のさらに奥に半島が見えます。

f:id:mr_kh:20181117215915j:image

 

陸前高田の広田半島でしょうか。

地図だとリアス式で半島と岬がやたら続いてるって分かるじゃないですか。

けどこうやって展望台とかに立ってみると、その壮大さと言うんでしょうか。

人間のちっぽけさを感じました。

このずっっと奥から歩いてきたと思うと、しみじみします。

一部端折ってるじゃないかと思ったそこのあなたには返す言葉がありません。


本当は遊歩道を歩いて対岸に出るようなルートなのですが、メガネを探しながら一旦来た道を戻って、フェリー乗り場に向かおうと思います。

結果 : 見つからず

大人しく大島を離れました。


今日もまたMさんにお世話になります。

これまでも個人名を出しても良いのか迷ってたんですが、とりあえずイニシャル表記でいきます。

法学部卒の端くれとして、その辺りは気にするんです。


トレイルルートから少し離れますが、震災関係の展示を行なっている美術館に連れて行っていただきます。

見終わって時間があれば少し南下して、バスか何かで戻ろうかと思ってます。

あ、ちなみに今晩もネカフェ泊。


その前にまずは気仙沼市街を一望できる安波山へ。

これは2年前の3月に訪れた時の写真。

f:id:mr_kh:20181117220023j:image

 

これが今日。木の合間からです。

2年前の写真の大体左半分がこの写真にあたります。

f:id:mr_kh:20181117220047j:image

時間の流れを感じました。

木も伸びてるし、大島には橋がかかってます。


市街地は山と丘に囲まれたようになっているのですが、低い土地は埋め立てでできたものらしく、街の古さが町名に反映されていたりするそうです。

そういえば地元大阪にある難波や浪速といった地名も昔の名残だと聞いたことがあります。


地理的な説明をしてもらった後は、震災当日のMさんのお話を伺いました。

津波で漏れ出した重油に引火して、湾内が火の海になっていた映像を当時僕も見た覚えがありますが、周りは海水に囲まれていて、その上火が迫ってくるかもしれないと思いながら一夜を明かすことって、ものすごい恐怖だと思うんです。

想像力が追いつきません。


ただMさんは、地震発生後、丘に登っていたために、第一波の津波を見ずに済んだそうです。

これも「津波てんでんこ」ではないでしょうか。

津波はあっという間にやってくるから、とにかく早く逃げろというような意味合いだったはずです。

日本に住んでいる以上、災害からは逃れられないわけで、こういう体験からしっかり学んでおかないといけません。


安波山でお話を聞いて山を下ります。

途中地形好きなMさんにディープな気仙沼を案内してもらいました。

僕はなんせ地理をサボってたのでその辺のことは分かりませんが、渋いのは分かります。

f:id:mr_kh:20181117220329j:image
f:id:mr_kh:20181117220323j:image


なんでもいいと思うのです。

自然でも歴史でも食でも、なんか興味のあるものを持っていればトレイルは楽しめると思います。

トレイルというか日々の生活を楽しめそうです。

僕は趣味が薄っぺらい人間なので、綺麗な風景を見て「おー、すげぇ」って言うぐらいですが。


次はシャークミュージアムです。

一階はお土産物屋さんと飲食店フロア。二階は美術館と博物館と観光案内所が入ってます。

震災の展示ブースは博物館の中にあります。

入館料は500円。

Mさん曰く、「ショートムービーは見る価値がある。」とのこと。

ムービーは全部で3本。1本約15分間だったはず。

00分~、20分~、40分~、一本ずつの上映です。


地震が発生し、津波が街を飲み込んでいく様子。避難所での暮らし。そして今(映像作成時)何を想うか。

とてもまとまった映像資料になっていると感じました。

トレイルを歩くと必ず震災の痕跡を目にするわけです。当時のことを知らずに歩くこともできるわけですが、やっぱり知っておいた方がいろんなことが自分ごとになるような、学びにつながる気がします。

何言ってるか分かりませんね。


頭の中に何かあるんですけど、正しい言葉が見つからなくて、この日のブログを書くのにやたら時間がかかりました。

というか結局その頭の中の何かは書かずに投稿してます。

疲れのせいか連日寝落ちてるのと、そもそも文量が半端なく多くなったのも原因ですね。


2本目のムービーを見終わったあたりで、Mさんのタイムリミットが迫っているとのことで、お迎えに来られました。

博物館のメインであるサメゾーンは面白くないらしくすっ飛ばします。


同じ建物の二階にある観光案内所に少しだけ顔を出します。

f:id:mr_kh:20181117220556j:image

 

とても丁寧に対応してくださりまして、ありがとうございました。

イカーの皆さん、気仙沼で分からないことがあれば、ここに行けば良いですよ。

Mさんは通訳案内士の資格を持っている上に、地理やら歴史にお詳しいので、外国人のハイカーはMさんに頼りましょう。

もちろん日本人でもOKです。


シャークミュージアムの次は、リアスアーク美術館。

トレイルルートから外れた丘の上にあるので、歩きだとしんどいかもですね。

f:id:mr_kh:20181117220632j:image


ここで降ろしていただき、Mさんとはお別れです。連日ありがとうございました。


館内は、二階が気仙沼に所縁のある芸術家の作品展示と、「食」をキーワードに気仙沼の文化等を紹介したブース。一階が震災に関する展示です。


まずは作品展示から。

二階のブースは撮影NGです。

まぁ僕は芸術的なことはよく分かりません。絵心も皆無です。

なんだかグロテスクに見えても、自分のうちにあるものをそういった形で表現してるわけですから、すんごい感性してるなこの人。と思います。一応褒めてます。


気仙沼の文化紹介ブースは、ただただ食欲をそそられました。

食べ物のことばっかりってわけじゃないですよ。僕の記憶に残ったのがそうだったってだけで。

最近、前だったらこれぐらい食べたら足りてたよなーって量を食べても足りないようになりました。久慈以来体重はそこまで減ってないので、多分大丈夫です。


一階に降りて、震災の展示を見学します。

f:id:mr_kh:20181117220810j:image

 

こちらはルールを守れば撮影OKとのこと。

震災発生後から約2年間、学芸員の方が中心となって撮影した約3万点の写真、収集された約250点の被災物の一部が常設展示として公開されています。


写真には、その一枚一枚に、撮影者の方が執筆されたレポートが添えられ、絶望的な状況の中でその方が何を考えていたのか、その思考を追体験できるようになっています。


被災物。ガレキでなく被災物です。

f:id:mr_kh:20181117220833j:image

 

ガレキのような「価値のない、つまらないもの」でなく、その一点一点が、家の一部や家財であったり、人生の記憶であったりする…という意味から、この美術館では被災物と表現されています。


また、展示されている被災物には、ハガキ状の用紙に物語をつづった資料が添えられています。

震災を「想像すらできない」という声を受け、その想像を補助するものとして、学芸員の方が震災当時の周囲との会話を基に、地域文化等を反映させた作られた物語で、いわばフィクションです。

ただ、それを読むことで、展示物の全てに血が通っている物として認識できるようになるのです。

亡くなられてしまったのか、それとも今も生きておられるのかは分かりません。

平穏な生活を送っている中で「誰かが」使っていたものなわけです。

そんなことを考えていると、いたたまれない気持ちになりました。


こうした展示物の他にも、キーワードパネルが設置されています。

f:id:mr_kh:20181117220937j:image

 

震災や被災にまつわる様々なキーワードがあります。津波だったり被災者だったり復興だったり。

こうした言葉と関連付けて、学芸員の方が感じた課題や違和感が書かれており、震災を語る時に使われる言葉を改めて考えるための資料になっています。


自分が東北に何度か足を運んで、お世話になった方もいらっしゃるからなのかもしれませんが、

展示物を見て、読んでいくうちに、途中から涙を浮かべ、鼻をすすりながら見学することになりました。

見学者1人でよかったと思ったのですが、逆に何人かいるとここまで集中して見てなかったかもしれません。


鼻をすすってもすすっても垂れてくるので、もう諦めようと開き直ってた矢先、学芸員の方が「売店が16:30で閉まるのですが…」と声をかけて来られ、なかなか恥ずかしかったです。


閉館10分前、いかに顔を見られずに立ち去るかを考えながら、お礼を言ってブースから飛び出し、トイレに駆け込んで鼻をかむ羽目になりました。

受付に預けていたバックパックを受け取り、ほぼ閉館と同時に退館しました。


今晩も前から気仙沼でお世話になっている方にお世話になります。

Sさんとします。

待ち合わせ場所のコンビニで合流して、まずk-portに連れて行っていただきました。

f:id:mr_kh:20181117221013j:image

 

震災後、俳優の渡辺謙さんが気仙沼に作ったカフェです。

毎日FAXレターが届いてるそうですが、読むのを忘れていました。


夕食のお店も決まり、k-portを後にします。


「北かつまぐろ屋」というお店に連れて行ってもらいました。

学生時代、気仙沼にツリーハウスを作りに来たことがあるんですが、その時ご一緒したMさんも合流。

またMさんですが、違うMさんです。

自転車で日本一周して気仙沼に移住されたらしく、電源はどこで取るかとか、食べても食べてもお腹空くとか、旅人トークができて楽しかったです。


ちなみに僕が注文したのはこれです。

鉄板に乗ってるのは、メカジキ。

f:id:mr_kh:20181117221044j:image

 

都会じゃ普段食べないですが、陸前高田のスーパでも見かけた気がします。

三陸沿岸はやっぱり海の幸が豊富です。

Mさんとは食事をしてお別れ。


Sさんと夜の安波山へ。

やはり前より光の量が増えた気がします。

少しずつ街が出来てきているようです。

次来た時はどうなってるのでしょうか。


ちらっと気仙沼にあるシェアオフィスにも顔を出しました。

釜石で泊まった宿の側にもシェアオフィスがあるとのことでしたが、場所によって全然雰囲気が違うと聞いてました。

ここはバンドの演奏スペースもあるし、バーみたいなカウンターもあるしで、かなりおしゃれ。

過疎化だなんだと言われてますが、こうやって少しずつ若い人が集まれる場所ができてるんですね。


22時過ぎたころ。

眠そうな顔をしてるのを察知されたのか、

Sさん「いつも何時頃寝てる?」

僕「もうぼちぼち寝てます。笑」

って感じの会話の後、ネカフェのあたりまで送っていただきました。


ブログの更新は追いつくのか!

本人は半ば諦めムードになってますが、頑張ります。


本日の歩行距離 : 11km