30日目 : 島を渡って石巻
朝4時過ぎに起きて、お米を炊いて朝食を。
荷物を軽くせねばということで米消化キャンペーンです。
船が出る鮎川港までここから1時間ちょっとの道のり。
一番早いものが7時半なので、6時には出発したいところです。
テーブルの上に、お礼を一言添えた名刺を置いて出発。
トレイル開始前に名刺を作ったのですが、案外使う機会があって良かったです。
いつものように近くのコンビニで昼食を買っておきます。
港にはGoogleマップのほぼ予想通りの時間に着きました。
この先の網地島・田代島ともに島の南北に港を備えています。
僕は石巻に向かいたいので、島の南から上陸して、北の港から船に乗ると、綺麗な一筆書きになるわけですが、運行ダイヤの関係上それは無理。
網地島では北に上陸して北から出航なので、往復するハメになりそうですし、田代島は北から入って南から出ることになりそうです。
まぁ後者はまだ良いですね。
その上、網地島に約6時間、田代島に約1時間の滞在と、なんともバランスが悪いですが、とにかく石巻港を目指します。
鮎川港の切符売り場で網地島までの切符(460円)を買います。
船が港を出てから約20分。
朝早かったこともあり爆睡でした。
網地島は上陸した港から出航するので往復コースです。
さすがに6時間も同じとこでぼーっとしとくわけにはいきませんから。
立派な待合所があったのですが、切符売り場がなく、荷物を預けることができなかったので、バックパックを背負って往復します。
主に島を縦断する県道?国道?を歩くルートになっています。
ちょうど真ん中あたりで「島の学校」なる建物が。
トレイルマップによると、中学校を改装してできた合宿所らしいです。
トイレを借りに入ってみました。
人の気配はするのですが、結局誰とも出会うことなく退散しました。
幹線道路を2/3程度歩いたあたりで遊歩道に入っていきます。
車の跡もあり、割と歩きやすかったかな?何故かあんまり記憶に残っていない…
遊歩道を抜けて道路に合流。
島の南側の港はそれほど遠くない距離にあります。
ここも立派な待合所が建っていました。
ルートからは外れますが、島の南端にある灯台に行ってみようと思います。
待合所にバックパックを置いて、灯台までは約20分の道のりです。
灯台に向かって港から歩いていると、猫の姿が目立ちます。
次の田代島が猫島として有名なようですが、こっちもそれなりの数がいます。
目の前に浮かぶ島が金華山。
ドローンも飛ばして何枚か撮影しました。
また20分かけて待合所に戻ります。
荷物も無事でした。
コンビニで買っておいたパンを食べているとちょうど12時になりました。
すると、この辺りにいた猫が待合所に寄ってきて、飯を寄越せと言わんばかりに鳴き声を上げるのです。
猫好きには辛いものがありますが、ここは我慢。
島で仕事をされていたであろう作業員の方も待合所にやってきたので、僕は網地港に戻ることにします。
帰りはひたすら道路を歩いて、約1時間で到着。
しばらく待って船に乗りました。
切符売り場が島のどこにも見当たらなかったのですが、船内で購入できます。
田代島までは10分ちょっとですが、ここでも爆睡でした。
田代島は島を周回するようなルートになっています。
ただ残念ながら、滞在時間が1時間しかないのと、島を縦断する道路沿いの方が面白そうな場所が多そうな気がしたので、まっすぐ行きます。
道路沿いに歩くと、40分ほどで南に位置する港に着きます。
その間猫を祀った神社や、猫グッズを扱うお店(猫もたくさん)があります。
島の至る所にこんな注意書きがあるので、この島の猫たちが島民の方々から大事にされているのが伝わってきます。
結局船が来る20~30分前には港に着きました。
こっちの港には待合所が設置されています。
ちなみに待合所の前にも4匹ぐらい猫がいました。
15時半発の船に乗って、石巻港に着いたのもだいたい1時間後。
ここから石巻駅までの間に行きたいお店があるのです。
FUNADE studioという大漁旗をリメイクした雑貨を扱っているお店。
歩いて20分ほどで着きました。
スタッフの方と話していると、ご自身もお遍路さんを歩いたことがあるらしく、バックパッカーとかの旅人をご飯に連れて行ったりしてるとのことでした。
僕もそれに甘えることに。
あと、明日漁師さんの仕事の手伝いに誘っていただいたので、僕もお邪魔することになりました。
連れて行っていただいたのは、その方曰く石巻一美味しいという焼き鳥屋さん。
僕が食べる焼き鳥は、某チェーン店ばかりなので、石巻一もうなずけるお味でした。
今日はゲストハウスの予約をしているので、明日の朝迎えにきてくださるそうです。
ゲストハウスまで歩きながら、このブログを書いてます。
寝床に着いてから書くと寝るのが遅くなるんですよね…
結局寝落ちて更新は2時前。とほほ。
本日の歩行距離 : 23km
29日目 : 牡鹿半島縦断
駅寝も2日目となれば慣れてきたようで、目が覚めたのは一度だけ。
昨日は何回起きたか分からないほど起きました。
5時に起床。
どんよりした曇り空ですが、なんとか雨は降ってません。
人目の付かないところで米を炊いて食べました。
洗い物をするのは近くの多目的トイレ。
最悪トイレがあれば一晩過ごせる気がしてきました。
今日は牡鹿半島を縦断します。
本当は山に登ったりなんやかんやしないといけないコースなのですが、通行止めになっている箇所があるため、ホームページにも「国道やその他のルートをご利用云々」と記載されています。
昨日のビジターセンターでは、「ここの尾根道行けるかも…けど、道に迷いそう。」とのご意見を頂戴しました。
普通に歩いてても道に迷う男です。
歩けるかも。は僕の今の技量では辞めておいた方が良いでしょう。
素直に国道を歩いて、途中からトレイルルートに合流することにします。
今日の目的地は、釜石で泊まった宿の人に紹介してもらった「おらほの家」です。
「お茶っこサロン」を開いたりしてるようなので、地域の方の憩いの場になっている場所なんだろうと思います。
ちょうどここから20km程度。
野宿できそうなところでも教えていただけたらありがたいです。
駅を出てすぐのコンビニで昼食を買って、7時過ぎに出発です。
しばらく歩くと、通称コバルトラインという、牡鹿半島の山々の稜線上を縦断する道路に入っていきます。
小雨が降ってきたので、久々にレインジャケットを着用。
寒くなってきてるので、暑すぎずちょうど良いぐらいかもしれません。
天気は悪いですが、これはこれで幻想的です。
歩く距離は20kmなので、だいたい5Kmおきに休憩を取って、2~3時間でコバルトラインを脱出。
一回道を間違えました。
やっぱり山道行かなくてよかったです。
下って浜に出た時間は11時過ぎ。
バスの待合所があったので、ちょっと早いですが昼食を取ります。
国道の後は遊歩道です。
トレイルの杭やリボンがあるので安心して歩けます。
某ハウスメーカーの杭もありました。
初めて見たけどスポンサーか何かなんでしょうか。
倒木がやたら多くて、ちょっとイライラしたのは秘密です。
地面に横たわるように倒れていたり、通れる感覚が開いてるようならいいんです。
ちょうど腰のあたりに木があると、通り方迷うです。
1時間で峠越え。
今日は初めて音楽を流しながら歩いてみましたが、黙々と歩くより気が紛れて良いですね。
充電のアテがある日はやってみても良いと思いました。
あとは目的地のおらほの家を目指すのみです。
近くにコンビニがあると聞いているので、そこを目印に。
歩道もなく交通量もそれなりに多い道路を歩いていきます。
車に気を付けながら写真を何枚か。
1時間弱ほどでコンビニに到着です。
パンとプロテイン飲料でカロリー補給をしてから、おらほの家を探しに行きます。
少し歩いたところに看板を発見。
お留守のようだったので、窓に貼ってあった電話番号に電話をして、留守電にメッセージを残しておきました。
あと釜石の宿の方も、ご親切に連絡してくださったようです。
16時過ぎに、男性が帰って来られました。
「1泊ぐらいなら泊めてあげても良いけど。」と言ってくださったので、お言葉に甘えて…
目の前にあったバスの待合室で一晩過ごそうかなぁとか思ってたので、ありがたかったです。
ただ最近人の善意に縋るように旅をしている気がしていて、これで良いのか…と思っていたり。
お風呂と夕食をいただいて、ここに来た経緯、防潮堤等の復興工事のお話、趣味の話をしたり聞いたり。
明日一番の船に乗って島に渡るつもりなので、ここを出るのは6時ごろになります。
「見送りはできないと思うけど、気を付けて。」と少し早めのお別れの挨拶を交わして、僕は借りているお部屋でブログを書いています。
本日の歩行距離 : 約21km
28日目 : 飛んで女川
朝5時に起床。
寒くはないですが、夜何度もトイレに起きました。
最近眠りが浅い気がします。
駅の裏手のコンビニに今日の昼食を仕入れに行ったりして時間を潰します。
商店街の大将が8時~8時半には来ると言っていたので、昨日のお礼をと思って粘りましたが、残念ながらいつもの出発時間である8時になったので出発することにしました。
しばらく国道歩き、街を振り返るとこんな感じ。
昨日お風呂を借りたおじさんが、「やっとここまで来た。」って言ってました。
情報が錯綜して、一時町民の半数が行方不明になっていたと何かで見た気がします。
少し歩いて旧道に入ります。
今日はここだけが遊歩道的な道です。
1~2km歩いてまた国道に合流。
今歩いている南三陸町ルートの次は未開通。
さらにその次のルートである女川町ルートも、始点が山の上になっている上に、その山に入る道が通行止めか何かになっているので、こないだお世話になったレンジャーの方と相談して、一気にBRTと電車で女川町に入ってしまうことにしています。
商店街から1時間ほど歩いて、陸前戸倉という乗り場に着きました。ここからBRTに乗る予定。
ただ、この先にはビジターセンター、さらに歩いた先に神割崎という見所があるので、そっちの方にも足を運んでみようと思います。
なので、陸前戸倉~神割崎を往復するようなルートになります。
ずっと国道を行くわけですが、またトレイルルートが工事で通行止めです。
今日は日曜日。工事もお休みです。
それを良いことに通行止めの中を突っ切ってきました。
今日は怒られることもなく、無事に通過。
ここも1時間ほど歩いて、ビジターセンターに到着です。
先日お世話になったKさんから、「近所の人がここに勤めてる」と聞いていたので、お名前を伝えて一応ご挨拶をしておきます。
この先のマップもいただきました。
女川町から牡鹿半島に入って、そこから金華山・網地島・田代島と、船で島を渡るのですが、金華山だけ定期便が日曜日しか出ていない模様。
少し高くなりますが、別日に乗合便の予約をしないといけないのですが、ご親切に電話番号も調べて教えていただきました。
後でかけます。
バックパックを置かせていただき、必要なものをウエストポーチに詰めて、カメラを持って出発です。
やっぱり身軽なのは良いです。
歩きながら、さっきの船の会社に電話をしてみました。担当の者がいないとのことで、日程だけ伝えて、かけ直してもらうことになりました。
ちなみに他の乗客がいない場合貸切ということになり、運賃は1万5千円になるそうです。それはちょっと無理だなぁと思いながら、電話を切りました。
神割崎にも1時間ほどで到着。
全部1時間あったら着きますね。
神割崎と呼ばれるようになった経緯は以下の通りです。
一年のうち、2月中旬と10月下旬だけ、この岩の間から朝日が昇るそうです。
行くならその時期が良いかもしれません。
僕もきっと行きます。
写真を撮っていたら家族連れの観光客が来たので、僕は退散。
レストランを見つけたので昼食を取ることにしました。ちなみに歩きながら買っておいたパンを食べてます。
タコライスの大盛りを注文しました。
この辺りで獲れたタコでしょうか。食感のアクセントになってて美味しかったです。
食べ終えたのでまた歩き始めます。
国道なので、また昨日の分のブログを書きながら。
国道なので歩きスマホするってのもおかしな話ではあります。
さっきの船の会社から電話がありました。
乗合便はないそうです。
今回は金華山を諦めて、そのまま網地島と田代島に入ることに決めました。
ビジターセンターには、また1時間ほどで到着。
少し休憩してバックパックを受け取ります。
駅まで後一息。
頑張りましょう。
行きと同じ舗装路を歩くだけなので、まぁそんなに楽しくはないです。
午後になると疲れも出てきますしね。
空を見ると、綺麗な飛行機雲が二本走っていました。
明日は雨の予報。
雨の中半島を縦断します。
また1時間ほどで駅に到着。
駅の近くまで来た時に、野良猫を見つけました。
猫好きなので近寄っていきます。これが間違いでした。
猫は驚いたのか国道に逃げて行ってしまい、後ろから来た車に轢かれ…
本当に申し訳ないことをしたと思います。
もう車の走る道路の側で猫を見かけても近寄りません。
道路の方を見ることもできず、逃げるようにBRTに乗って、陸前戸倉を後にしました。
前谷地という駅でワンマンカーに乗り換え、女川駅に向かいます。
ここまではその道中で書きました。
19時前なので観光案内所も閉まってるでしょうし、今晩寝るところに困りそうです。
駅に着いて少し待合室を確認してみましたが、鍵が付いてないので、今晩はここかもしれません。
女川駅の二階は銭湯になっています。
入浴料は500円。
受付の女の人に、野宿スポットを聞いてみましたが、笑われただけで答えが返って来なかったので、諦めて風呂に入ります。
まぁこんなもんですよ。
これまでがうまくいきすぎたのです。
お風呂から出た後、休憩所で閉館直前まで爆睡してしまい、慌てて退館しようとすると、受付にいる人が男性に変わってました。
この人はどうだろうと思い、野宿スポットを聞いてみました。
この辺りも津波で流されて新しく全て作り直しているので、基本的に駅周辺の公共の建物には、警備会社が入っているそうです。
そんな中でもテントが張れそうな場所をいくつか教えてくれましたが、基本吹きさらし。
駅の待合室はJRの管轄なので関係ないとのことなので、また昨日と同じように寝ようと思います。
明日は雨の予報ですが、牡鹿半島を縦断します。
トレイルルートが一部区間立ち入り禁止になっていて、ホームページには、国道等を使うようにと書いてあったので、舗装路を歩いて行く予定です。
本日の歩行距離 : 23km
27日目 : 霊峰を越えて南三陸町へ
6時にKさんが迎えに来てくれたので、昨日と同じように軽トラに乗って漁港に行きます。
船を走らせて、浮きに旗を付けた目印まで行くのですが、広い海の中にぽつんと浮かぶ旗を探せる気がしません。
Kさんが操縦する船は一直線に目印に向かっていきます。
写真を撮ろうとカメラの電源を付けると、メモリーカードが入ってないという表示が。
僕としたことがやってしまいました。
iPhoneで撮影です。
仕掛け網両端には重りが、上部には浮きが並んでいて、海の中で暖簾のように広がるような作りになっています。
ここに鮭が引っかかるという寸法。
網の下部は海底に垂れ下がっているので、鮭以外にもウニやホヤも採れます。
まずKさんが片方の重りを引き上げました。
あとは巻き取るように網を引いていきます。
もう片方の重りは海底に残っているので、引っ張っていけば、どんどん船の方が重りに寄っていくような感じになっていました。
Kさんが浮きの付いている方を、僕が底の方の網を引っ張ります。
浮きが付いている方が当然先に上がってくるので、僕は上がって来た分に合わせて引っ張るだけです。
震災前は一番多くて50匹近く獲れたこともあるそうですが、震災後獲れる数が減ったそうです。
特に今年は不漁。そういえば大槌町の鮮魚店のお母さんも不漁だと言ってました。
少なからず防潮堤工事が影響してるんじゃないかとのことでした。
1時間ほど引っ張って、全ての網を上げました。
獲れた鮭は6匹。あとホヤが2匹。
漁師仲間の方に鮭を1匹あげてました。
相手の方からはタコが。
「海の仲間は相手が持ってない魚をあげるんだ。」
自分の獲物だからと言って囲い込まず、自然からいただいたものをみんなで分け合う。
ともすれば排他的になりがちな世の中で、忘れてはいけない感覚な気がします。
船から上がった後は、また朝食をお世話になりました。
小屋の荷物を片付けて、先日ゴールした陸前小泉のあたりまで送ってもらいます。
お世話になりました。
今日は山を越えて南三陸町に入ります。
どの程度の厳しさなのか不安が募りますが…
しばらく車通りの少ない舗装路歩きなので、歩きながらブログを書いてました。
最近問題の歩きスマホですね。
バス停で軽く休憩を取って、またしばらく歩いていると、久々にトレイルのリボンを見つけました。
ここに必要?と思ってしまいましたが、宮城県に入ってから初めて見つけたので、旧友に出会ったような感覚になります。
遊歩道に入っていきます。
しばらくは舗装路。
この看板辺りから道が未舗装に変わります。
昔は霊峰として栄えた山らしく、歩いた遊歩道の名前は「行者の道遊歩道」です。
ただやっぱりこういう道の方が歩いてて楽しいんですよね。
厳しい上り坂は勘弁ですが、根は案外ハイカー気質かのかもしれません。
トレイルマップに、小川を渡るとかなんとか書いてたので、普代村から沢と小川がトラウマの僕としては嫌な予感がしてたのですが、靴を濡らすこともなく歩くことができました。
これ最初どこが道なのかと思ったんですが、反対側に渡るのではなく、川の奥に歩いてくんです。
こんな感じの川歩きが何度かありました。
後は普通の登りを歩いて行けば、頂上辺りに出ます。
大きめの駐車場とトイレがあったので、その辺りに座って昼食休憩を取りました。
最近は専らコンビニのパンです。
相変わらず米が入ったままなのですが、もうそろそろいらない気がするので減らしたいなーと常々思ってます。
13時前に再出発。
しばらく落ち葉でふかふかの道を下っていきます。
ちなみに僕は、足元がどうなってるのか分からないので、こういう道が苦手です。
下り切ると集落に出ます。
後ろから走って来た軽トラが僕の隣に止まって、運転手のおじさんが乗るか?みたいなジェスチャーをしてくれたのですが、手を振ってお辞儀して笑顔でお別れしました。
こういうのもまた嬉しくなりますね。
この後しばらく舗装路の登りが続きました。
そんなきつい坂ってわけでもないのですが、長いとバテてきます。
登った先に展望台があったので、バックパックを降ろして一休み。
トレイルルートは微妙に街の中心部からずれたルートを通ってるのですが、寝るとこの情報収集もかねて、このまま中心部を目指したいと思います。
のどかな集落を通る道を歩いて、観光案内所に着いたのが16時過ぎでした。
中に入っていつもごとく、野宿できる場所を伺います。
公式的には宿を紹介するしかないのですが…と言いつつも、候補地をいくつか教えてくださいました。
とりあえず明日通る予定の無人駅に向かうことにします。
「次は観光で来てくださいね。」と案内所を出るときに名刺をいただきました。あと、栄養ドリンクと。
野宿できるとこ教えてください。なんて普通聞いても教えてくれなさそうなもんですよ。
いつぞやの役場の方を始め、皆さん親切に教えてくれるので、ここまであまり泊まるとこには苦労せずに来れました。
最寄駅から一駅BRTに乗って、無人駅へ。
一晩過ごした後、また戻ってくることにします。
駅近くには、震災後にできた「南三陸さんさん商店街」があります。
1日1食ぐらいはまともなものを食べたいと思ってるので、飲食店を探して入りました。
どれもなかなか良いお値段だったので、一番安いどんぶりを大盛りで注文しました。
お店の大将にも泊まれそうな場所を聞いてみます。
すると、商店街のフードコートがフリースペースらしく、そこにテントを張る人もいる。
もしくは、ここの最寄りの駅も、夜は係員さんが帰って無人になる上に、待合室は24時間開いてるので、寝ようと思えば寝れる。とのことでした。
冷え込みが厳しいので、寝るなら屋内が良いです。今日は駅寝かな…
隣に座っていた土木関係の仕事をしているおじさんは常連客のようです。
震災の翌年に仕事でこっちに来て、骨を埋める覚悟で移り住んだそう。
話も弾みまして、「ちょっと忙しくて泊めてやるのは無理だけど、風呂ぐらい入っていいよ。」と言ってくださったので、お言葉に甘えることに。
お店の大将は、「うちではカウンターに座った一人旅のお客さんには、おにぎりをお渡ししてるんです。よかったら明日の朝にでも。」とおにぎりをくれました。
少しだけお家にお邪魔して、お風呂をお借りしました。
「泊めてやれなくて申し訳ない。」と言ってくださいましたが、お気持ちだけで十分ありがたいです。
また商店街に戻りました。
フードコートにバックパックを置いて、駅の下見に。
近くにトイレもあるし全く問題なさそうです。
バックパックを持ってきて、床にシートと寝袋で寝る準備をします。
溜まっていたブログを二本更新して、寝ることにしました。始発までに起きねば。
本日の歩行距離 : 約23km
26日目 : 休養日
朝、漁師のKさんが小屋に来て、「やっぱり夕方仕掛けよう。その辺りを歩くなり、ゆっくりするなりしてて。」と言ってくださったので、小屋のソファでそのまま二度寝。
しばらくすると今度は奥さんと思われる方が、おにぎりとラーメン、コーヒーの差し入れを持って来てくださいました。
ちゃんと起きたのは10時過ぎ。
持って来ていただいたおにぎりとラーメンを食べたり、洗濯物を手洗いしたりして、午前中は終わりました。
明日山の中で食べる昼食と、携行食にしてるナッツを買い足しておくために、近くのコンビニに買い出しに行くことにしました。
近くのコンビニと言っても、歩いて1時間かかります。近くはない。
しばらく歩いて、BRTに乗ればいいんじゃない?と思い付きました。
と言っても最寄りの乗り場まで30分弱かかるのですが、乗り場に行くと、ちょうど良いタイミングでバスが来たので、随分と時間短縮に。
コンビニの隣にドラッグストアがあったので、そっちも覗いてみると、ハニーローストナッツなるものが売ってあるではないですか。
糖分補給にもなって良いなぁと思ったので、一缶購入。
コンビニではパンと野菜ジュース、プロテイン入りの飲料を買いました。
飲み物はその場で飲んでしまいます。
用事も済んだので、早々に切り上げて、小屋に戻ります。
BRTはSuicaが使えます。
キャッシュレス人間にはありがたいですね。
特にバスって小銭がないと後ろが詰まるので、個人的に電子決済の方が楽です。
ナッツをジップロックに移し替えたり、荷物の整理をしたりして、ゆっくり過ごしていると、何だかんだ15時頃になりました。
またKさんが小屋に来てくれました。
すぐ下が家らしく、「寒くない格好で降りて来て。」とのことです。
ウィンドブレーカーの下にフリースを着て向かいます。
軽トラの荷台にお借りするカッパと長靴を乗せて漁港へ。
Kさんの操縦する船に乗り込み、防波堤の外に出ます。
少し船の上を歩きましたが、漁師さんのバランス感覚ってすごいですよ。あんな普通に歩けないです。
今日は網を仕掛けるだけなので、特に何もすることはありません。
Kさんの作業を見つめるだけでした。
明日網を上げるのをお手伝いします。
本業はワカメの養殖らしく、鮭網は「若い頃は市場に出してたけど、今は趣味の域」になってるそうです。
網を仕掛け終わったので、漁港に戻ります。
Kさんのお家で夕食をご馳走になり、今日はゆるりと終了。
滞っているブログの更新も放ったらかしで寝てしまいました。
25日目 : 工事中は歩きにくい
昨日とは打って変わって爆音いびきに起こされることもなく、比較的静かなフラットブースでした。
今晩も気仙沼の方にお世話になります。
震災後ボランティアとして気仙沼に入り、今は気仙沼市役所にお勤めのSさんです。
ややこしいですが、昨日とは違う方です。
そしてそのSさんがボランティアをしてた時にお世話になったという漁師さんのプレハブ小屋に泊めていただくことになっています。
漁師さんとご一緒したいなぁとも思ってたので、ご迷惑でなければお願いしてみるつもりです。
なので、今日中にギリギリまで近くに寄っておきたいと思っています。
今日の出発は8時半ごろ。
海沿いに出るのが正解なのですが、どうせそのうち国道に出ないといけないので、近くの県道をそのまま下って、国道に入ることにしました。
ネカフェ周辺も工事してます。
ここには何ができるんでしょうか…
歩いてると道路から「おーい!」と声が聞こえてきました。
顔をそっちに向けると、軽トラに乗った旅人Mさんが、「おーい!頑張ってねー!」とエールを送ってくれてました。
僕のやる気バロメーターがまた少しアップです。
ひたすらコンクリートロードを歩きます。
トイレが近いので、コンビニを見つけたら必ずと言っていいほど立ち寄ってます。
山の中だったら犬みたいにその辺でできるんですが、街中では流石に無理ですから。
2~3時間ぐらい歩いて、第一チェックポイントの岩井崎に到着。
本当にチェックポイントがあるわけじゃありません。自分で決めただけです。
岬の辺りに入ってから、突端の岩井崎に行くまでがまた一苦労でした。
歩いたと思ったら、通行止めになってたりして、道がさっぱり分からなかったので、見つからないように通行止めのとこを越えてきました。
手形もありました。手がでかい。
側には龍の松。
幹や枝が津波の被害を受けてこのような姿になったそうです。
奇跡の一本松に通ずるものを感じました。
今日はお休みみたいでしたが、塩作り体験館がありました。
写真を撮ったり自販機のジュースで一服したりして、少し長めの休憩を。
メモを見返したら、40分ぐらいここにいたみたいです。昼食休憩並みに休んでますね。
もう少し歩いたところに道の駅があるはずなので、昼食はそこで取ろうと思っています。
トレイルルートをずっと下っていくと、また工事で立ち入り禁止に。
ただ、昼休みなのか人の姿はありません。
工事区間10m程度を抜ければ普通に歩けそうな道につながってたので、そのまま突っ切りました。
この先はトレイルホームページでも国道に迂回路が設定されていたので、国道への合流を目指します。
途中警備員さんが「ここは大型車両の走行路なんですが大丈夫ですか?」と訪ねて来られました。
今までも大型車両が通る中、歩いて来てるので、「大丈夫です。」と答えて、そのまま先へ。
ダンプカーが3台ぐらい通って行っただけでした。
なんてことないなーと思ってると、国道手前でまた警備員さんが話しかけて来ました。
「ここは一般の方立ち入り禁止なんですが、どこから入って来られました?」と。
さっきの大丈夫ですか?は、そういう意味だったみたいです。
とりあえず謝って国道に合流。
工事中のとこは歩きにくいなーと思って歩いていると、精米所の前止まってた軽トラの運転席に座ってたおじさんと目があいました。
ぺこりとお辞儀をすると、どこまで行くのか訪ねて来られました。
八戸からずっと歩いて来てて、今日は陸前小泉という駅?バス停?を目指すつもりだということを答えると、助手席あたりからスッと甘酒の差し入れてくださりました。
僕、小さい頃から甘酒好きなんです。
お酒好きなのも当然な気がしますが、何にしてもありがとうございます。
道の駅には岩井崎から1時間半ほどで到着です。
何を食べるか迷った結果、値段とカロリーを考えてカツカレーの大盛りを注文しました。
メカジキの入ったカレーとかもあったんですが、こっちの方が安かったのです。
さて、ここから今日のゴールと決めている陸前小泉まで、Googleマップの最短ルートでも2時間弱かかるようです。
日が沈むまでには着きたいので、最短ルートで国道を歩いていきます。
交通量はやはり多め。
一度だけドライブインのベンチで休憩して、陸前小泉に着いたのは、16時10分ごろでした。セーフです。
Sさんに連絡して、お仕事が終わるまで待つわけですが、冷え込みが半端ないのです。
今晩はさておき、この先テント泊で耐えられるのか不安になりました。
牡鹿半島を越えれば比較的都会になるので、ネカフェ泊を連発するのもありかもしれないですね。
17時過ぎにSさんから連絡が。
大谷海岸(道の駅があったとこ)で落ち合うことになりました。
BRTに乗り込みます。
BRTとは、まぁバスのことです。
震災後不通になった電車の区間にバスが走ってます。
国道を歩いてると見かけることがあるのですが、駅を出てすぐはバス専用路になってたりします。
大船渡の盛駅を目指してる時に、そんなことも知らずに専用路を歩いて怒られてしまいましたが…
ここから大谷海岸までは約20分。のはずが、めちゃくちゃ渋滞してて結構時間がかかりました。
Sさんも渋滞にはまってたようですが、僕より先に到着されてました。
南三陸町にあるタイ料理のお店に連れて行っていただきます。
失礼ですが、こんなところにこんな店があるのか…と思ってしまいました。
そこまで詳しくお話を聞けたわけではありませんが、店主の方は元バックパッカーだそうです。
まだネットもなく、現地でなんとか情報収集して旅をしていた時代です。
僕も海外に行った時、Kindleで「深夜特急」を読んで、胸が踊ったことを覚えています。
食べたのはセリ鍋とカレー、ドリンクはチャイ。
厨房からすり潰すような音が聞こえてきたので、一から手をかけて作ってるようです。
本格的なお味で美味しかったです。
Sさんもボランティアでこちらに入ったのがスタートということで、最近感じている、まとまりのないことを聞いていただきました。
本当にまとまりのない話をしてしまったので、若干の申し訳なさもありつつ…
食後は店主から、アイスのサービスをいただきました。これが甘さ控えめで、口直しにぴったり。
店を出て、今日泊めていただく小屋まで送っていただきます。
Sさんも含め、今回気仙沼でお世話になった方々とは、本当に数回、場合によっては一回しか会ったことがないにも関わらず、とても良くしていただきまして、本当にありがたいなぁ…と。
僕も旅人には親切にしようと思います。そこじゃないですね。
小屋の持ち主のKさんに、何かご一緒できることはないか伺うと、「鮭網でもやってみるか。」と言ってくださったので、明日は鮭網体験です。
ちなみにこの鮭網、いつもは夕方仕掛けて、翌朝上げるそうですが、明日の朝仕掛けてもらうことになりました。
風邪っぽいのと、疲れが溜まってるのを感じてたので、もう一泊させていただくかも…
本日の歩行距離 : 23km
24日目 : 記録をたどって
爆音いびきに叩き起こされたのが、午前4時過ぎ。1時間ほどかけて昨日の分のブログを書き上げました。
昨日寝落ちてシャワーも歯磨きもまだだったので、フロントに行ってシャワーを使わせてもらいます。
シャワールームの隣に洗濯乾燥機を発見しました。
洗濯と乾燥をしようかとも思いましたが、1時間以上かかるようだったので、洗面台で手洗いをして、乾燥だけかけることにします。
1回30分の乾燥時間の間にシャワーを浴びておきます。
久慈で実家に送り返して一着だけになったズボンと、行動中着てるウィンドブレーカーも乾燥機にかけてしまったので、上は機能性インナーにフリース、下は機能性タイツという出で立ちです。
ブザーが鳴ったので、意気揚々と乾燥機のドアを開けると、暖かくなっただけの濡れた衣服がそこにありました。
これは乾きそうにありません…
今日は朝一のフェリーで大島に渡りたいのです。
6時40分発なので、6時までにはネカフェを出たい。
タイツの上に濡れたズボンを履いて、そのままネカフェを後にしました。
Googleマップによると、フェリー乗り場に行く道中に6時開店のコインランドリーがあるようです。
持ってる衣服は、靴下以外速乾性の素材でできていて、10分程度で乾くことは宮古で実証済みです。
少し歩くと、マップには載ってないランドリーを発見しました。
しかも6時前なのに開いてる。
すぐさま乾燥機に洗濯物を放り込みます。
もちろんズボンもです。
人が来ないことを祈りながら、タイツ姿で10分過ごしました。
そして10分後。
インナー類とズボンは履けるレベルまで乾いてました。
人がいないのを良いことに、タイツを脱いでズボンに履き替えます。
靴下だけは微妙に乾いてませんが、これはトレッキング用の厚手の靴下なので仕方ないです。
また夜洗って乾かすなりしたいと思います。
あとはフェリー乗り場まで一直線です。
片道410円のチケットを買って、船が出る5分前に飛び乗ることに成功です。
モヤがかっていて、なかなか幻想的な光景でした。
昔は風景とかの写真を撮るときに人が写り込むのが嫌な人だったんですが、最近はそっちの方がストーリー性が出るよなーと思うようになりました。
朝早く起きたのもあって、フェリーの中では爆睡でした。
到着のアナウンスで目が覚めて、船から降ります。
フェリーのチケット売り場の窓口で、荷物を預かっていただけないか尋ねてみました。
預かり金が100円かかるそうですが、大丈夫みたいです。
携行食とカメラ類だけ持って、あとは置いて行くことにしました。装備は軽いのに越したことはないのです。
こないだの越喜来でもそうでしたが、拠点を構えてることができるのであれば、不必要なものは拠点に置いて、1日歩いては電車とかを利用して戻る。
翌日、前日のゴール地点に電車を使って…というような歩き方をするのも良い気がします。
大島のコースは、一部区間遊歩道だったりしますが、ほとんど県道208号線を歩くようになっています。僕は反時計回りに歩いて行くことにしました。
東北最大の有人離島ということもあってか、個人的あまり島にいるという感じはしませんでした。のどかな田舎を歩いているようです。
1時間ほど歩いて南端の龍舞崎に着きました。
自販機とベンチがあったので、コーヒーを買って一休みです。
1時間に一度休憩を挟むのが、僕の歩くリズム。
分かってます。ここでちんたら休憩してるから歩行時間が短くなるのです。
ルートにはなっていませんが、350mほどで展望台に出れるようです。せっかくなので少し足を伸ばしてみます。
展望台といっても、松林に囲まれていて、あたり見晴らしは良くありませんでした。
こんな時こそドローンでしょう。
灯台が今いるあたりです。
100mぐらいまで上げてみましたが、気仙沼から伸びる半島のように見えるだけで、島全体を捉えることはできませんでした。
大島の大きさを実感。
龍舞崎で結構時間を使ってしまいました。
流石に歩こうと思います。
また舗装路を歩いてたのですが、海側に遊歩道を発見。地図を確認すると、龍舞崎からしばらく舗装路ではなく遊歩道を使うルートになってました。
藪を掻き分け遊歩道入りします。
歩きやすいなぁと思ってると、急に棘の生えたバラ科の植物が現れたりします。
そんな甘いわけないんです。
海岸線をずっと行けると思ってた矢先、目の前が袋小路になってました。
先が分からないのに、藪の中に入っていくほど若くも無謀でもないですから、道がないならどうしようもありません。
迷うことなく引き返して、県道を歩くことにしました。
大島の北にある亀山の遊歩道に入るまで、しばらくずーっと県道です。
もうすぐ遊歩道だなーと思ってた矢先の出来事でした。
メガネの形の日焼けがひどくなってきてたので、メガネをウエストポーチの持ち手に引っ掛けて外して歩いてたんです。
ふと「腹減ったなー」と思って、ポーチからナッツを取り出して少しの間貪ってました。
その間も当然歩いてます。
メガネを持ち手に引っ掛けたままにしておいたら良かったのに、なぜかナッツをしまうために半開きにしておいたポーチの中に入れたんです。
これが運の尽きでしたね。
ナッツをしまおうとポーチを開けるとメガネが消えてました。
落ちた音がしなかったのは、下が落ち葉だったからでしょう。
すぐにナッツを食べ出したあたりに戻って2~3往復してみましたが、メガネは行方不明。
車の運転はできないレベルですが、視力の弱い友達に言わせると「度が入ってないみたい」なメガネをかけてたので、決して見えてないわけではありません。
なんなら高校の時も今と同じ視力でしたが、裸眼で過ごしてました。
てことで、メガネを諦め、前に進みます。
亀山山頂の展望台へ。
こっちが唐桑半島。
こっちが大島。
大島も半島のように見えます。
地図を見て頭では理解してるのですが、改めて半島と島で囲むように気仙沼湾ができていることを実感しました。
角度を変えると、唐桑半島のさらに奥に半島が見えます。
陸前高田の広田半島でしょうか。
地図だとリアス式で半島と岬がやたら続いてるって分かるじゃないですか。
けどこうやって展望台とかに立ってみると、その壮大さと言うんでしょうか。
人間のちっぽけさを感じました。
このずっっと奥から歩いてきたと思うと、しみじみします。
一部端折ってるじゃないかと思ったそこのあなたには返す言葉がありません。
本当は遊歩道を歩いて対岸に出るようなルートなのですが、メガネを探しながら一旦来た道を戻って、フェリー乗り場に向かおうと思います。
結果 : 見つからず
大人しく大島を離れました。
今日もまたMさんにお世話になります。
これまでも個人名を出しても良いのか迷ってたんですが、とりあえずイニシャル表記でいきます。
法学部卒の端くれとして、その辺りは気にするんです。
トレイルルートから少し離れますが、震災関係の展示を行なっている美術館に連れて行っていただきます。
見終わって時間があれば少し南下して、バスか何かで戻ろうかと思ってます。
あ、ちなみに今晩もネカフェ泊。
これは2年前の3月に訪れた時の写真。
これが今日。木の合間からです。
2年前の写真の大体左半分がこの写真にあたります。
時間の流れを感じました。
木も伸びてるし、大島には橋がかかってます。
市街地は山と丘に囲まれたようになっているのですが、低い土地は埋め立てでできたものらしく、街の古さが町名に反映されていたりするそうです。
そういえば地元大阪にある難波や浪速といった地名も昔の名残だと聞いたことがあります。
地理的な説明をしてもらった後は、震災当日のMさんのお話を伺いました。
津波で漏れ出した重油に引火して、湾内が火の海になっていた映像を当時僕も見た覚えがありますが、周りは海水に囲まれていて、その上火が迫ってくるかもしれないと思いながら一夜を明かすことって、ものすごい恐怖だと思うんです。
想像力が追いつきません。
ただMさんは、地震発生後、丘に登っていたために、第一波の津波を見ずに済んだそうです。
これも「津波てんでんこ」ではないでしょうか。
津波はあっという間にやってくるから、とにかく早く逃げろというような意味合いだったはずです。
日本に住んでいる以上、災害からは逃れられないわけで、こういう体験からしっかり学んでおかないといけません。
安波山でお話を聞いて山を下ります。
途中地形好きなMさんにディープな気仙沼を案内してもらいました。
僕はなんせ地理をサボってたのでその辺のことは分かりませんが、渋いのは分かります。
なんでもいいと思うのです。
自然でも歴史でも食でも、なんか興味のあるものを持っていればトレイルは楽しめると思います。
トレイルというか日々の生活を楽しめそうです。
僕は趣味が薄っぺらい人間なので、綺麗な風景を見て「おー、すげぇ」って言うぐらいですが。
次はシャークミュージアムです。
一階はお土産物屋さんと飲食店フロア。二階は美術館と博物館と観光案内所が入ってます。
震災の展示ブースは博物館の中にあります。
入館料は500円。
Mさん曰く、「ショートムービーは見る価値がある。」とのこと。
ムービーは全部で3本。1本約15分間だったはず。
00分~、20分~、40分~、一本ずつの上映です。
地震が発生し、津波が街を飲み込んでいく様子。避難所での暮らし。そして今(映像作成時)何を想うか。
とてもまとまった映像資料になっていると感じました。
トレイルを歩くと必ず震災の痕跡を目にするわけです。当時のことを知らずに歩くこともできるわけですが、やっぱり知っておいた方がいろんなことが自分ごとになるような、学びにつながる気がします。
何言ってるか分かりませんね。
頭の中に何かあるんですけど、正しい言葉が見つからなくて、この日のブログを書くのにやたら時間がかかりました。
というか結局その頭の中の何かは書かずに投稿してます。
疲れのせいか連日寝落ちてるのと、そもそも文量が半端なく多くなったのも原因ですね。
2本目のムービーを見終わったあたりで、Mさんのタイムリミットが迫っているとのことで、お迎えに来られました。
博物館のメインであるサメゾーンは面白くないらしくすっ飛ばします。
同じ建物の二階にある観光案内所に少しだけ顔を出します。
とても丁寧に対応してくださりまして、ありがとうございました。
ハイカーの皆さん、気仙沼で分からないことがあれば、ここに行けば良いですよ。
Mさんは通訳案内士の資格を持っている上に、地理やら歴史にお詳しいので、外国人のハイカーはMさんに頼りましょう。
もちろん日本人でもOKです。
シャークミュージアムの次は、リアスアーク美術館。
トレイルルートから外れた丘の上にあるので、歩きだとしんどいかもですね。
ここで降ろしていただき、Mさんとはお別れです。連日ありがとうございました。
館内は、二階が気仙沼に所縁のある芸術家の作品展示と、「食」をキーワードに気仙沼の文化等を紹介したブース。一階が震災に関する展示です。
まずは作品展示から。
二階のブースは撮影NGです。
まぁ僕は芸術的なことはよく分かりません。絵心も皆無です。
なんだかグロテスクに見えても、自分のうちにあるものをそういった形で表現してるわけですから、すんごい感性してるなこの人。と思います。一応褒めてます。
気仙沼の文化紹介ブースは、ただただ食欲をそそられました。
食べ物のことばっかりってわけじゃないですよ。僕の記憶に残ったのがそうだったってだけで。
最近、前だったらこれぐらい食べたら足りてたよなーって量を食べても足りないようになりました。久慈以来体重はそこまで減ってないので、多分大丈夫です。
一階に降りて、震災の展示を見学します。
こちらはルールを守れば撮影OKとのこと。
震災発生後から約2年間、学芸員の方が中心となって撮影した約3万点の写真、収集された約250点の被災物の一部が常設展示として公開されています。
写真には、その一枚一枚に、撮影者の方が執筆されたレポートが添えられ、絶望的な状況の中でその方が何を考えていたのか、その思考を追体験できるようになっています。
被災物。ガレキでなく被災物です。
ガレキのような「価値のない、つまらないもの」でなく、その一点一点が、家の一部や家財であったり、人生の記憶であったりする…という意味から、この美術館では被災物と表現されています。
また、展示されている被災物には、ハガキ状の用紙に物語をつづった資料が添えられています。
震災を「想像すらできない」という声を受け、その想像を補助するものとして、学芸員の方が震災当時の周囲との会話を基に、地域文化等を反映させた作られた物語で、いわばフィクションです。
ただ、それを読むことで、展示物の全てに血が通っている物として認識できるようになるのです。
亡くなられてしまったのか、それとも今も生きておられるのかは分かりません。
平穏な生活を送っている中で「誰かが」使っていたものなわけです。
そんなことを考えていると、いたたまれない気持ちになりました。
こうした展示物の他にも、キーワードパネルが設置されています。
震災や被災にまつわる様々なキーワードがあります。津波だったり被災者だったり復興だったり。
こうした言葉と関連付けて、学芸員の方が感じた課題や違和感が書かれており、震災を語る時に使われる言葉を改めて考えるための資料になっています。
自分が東北に何度か足を運んで、お世話になった方もいらっしゃるからなのかもしれませんが、
展示物を見て、読んでいくうちに、途中から涙を浮かべ、鼻をすすりながら見学することになりました。
見学者1人でよかったと思ったのですが、逆に何人かいるとここまで集中して見てなかったかもしれません。
鼻をすすってもすすっても垂れてくるので、もう諦めようと開き直ってた矢先、学芸員の方が「売店が16:30で閉まるのですが…」と声をかけて来られ、なかなか恥ずかしかったです。
閉館10分前、いかに顔を見られずに立ち去るかを考えながら、お礼を言ってブースから飛び出し、トイレに駆け込んで鼻をかむ羽目になりました。
受付に預けていたバックパックを受け取り、ほぼ閉館と同時に退館しました。
今晩も前から気仙沼でお世話になっている方にお世話になります。
Sさんとします。
待ち合わせ場所のコンビニで合流して、まずk-portに連れて行っていただきました。
毎日FAXレターが届いてるそうですが、読むのを忘れていました。
夕食のお店も決まり、k-portを後にします。
「北かつまぐろ屋」というお店に連れて行ってもらいました。
学生時代、気仙沼にツリーハウスを作りに来たことがあるんですが、その時ご一緒したMさんも合流。
またMさんですが、違うMさんです。
自転車で日本一周して気仙沼に移住されたらしく、電源はどこで取るかとか、食べても食べてもお腹空くとか、旅人トークができて楽しかったです。
ちなみに僕が注文したのはこれです。
鉄板に乗ってるのは、メカジキ。
都会じゃ普段食べないですが、陸前高田のスーパでも見かけた気がします。
三陸沿岸はやっぱり海の幸が豊富です。
Mさんとは食事をしてお別れ。
Sさんと夜の安波山へ。
やはり前より光の量が増えた気がします。
少しずつ街が出来てきているようです。
次来た時はどうなってるのでしょうか。
ちらっと気仙沼にあるシェアオフィスにも顔を出しました。
釜石で泊まった宿の側にもシェアオフィスがあるとのことでしたが、場所によって全然雰囲気が違うと聞いてました。
ここはバンドの演奏スペースもあるし、バーみたいなカウンターもあるしで、かなりおしゃれ。
過疎化だなんだと言われてますが、こうやって少しずつ若い人が集まれる場所ができてるんですね。
22時過ぎたころ。
眠そうな顔をしてるのを察知されたのか、
Sさん「いつも何時頃寝てる?」
僕「もうぼちぼち寝てます。笑」
って感じの会話の後、ネカフェのあたりまで送っていただきました。
ブログの更新は追いつくのか!
本人は半ば諦めムードになってますが、頑張ります。
本日の歩行距離 : 11km